暮らすのブログ

小売店勤務アラサー。リアルです。よくお酒を飲みます

飲み友を超えた酒友

 

酔っている。

 

今日は赤ワインをグラス一杯飲んだ。今は冷凍テキーラをショットグラスで飲んでいる。ちょうど4杯目。ショットグラスだとそんな大した酒量にならないから大丈夫です。ダイジョウブ。

こんな調子でだいたい毎日何かしらのお酒を楽しんでいるぼく。

お酒の魅力って一人でも完結するんだけど、一緒に飲む人がいるとおいしさもより増幅されていく不思議がある。

そう。つまり飲み友ってワケ。

一人でじっくりお酒に向き合うのも楽しい。それは間違いない。

だけど二人や三人で同じグラスを傾けて分かち合うことにもまた別の面白さがある。それは決して酔うためのアルコールじゃないってこと。つまりお酒は手段じゃない。ココ大事。

手段としてのお酒があることは全く否定しないけど、ぼくが今夜言いたいのはそうじゃない。

 

ぼくの友人にAくんという人がいる。その子はぼくの一つ歳下の男の子で大のお酒好きだ。自分が暮らす街に行きつけのBARを何軒か持っていて、家でもお酒をよく飲むという本格派。とても気の合うお酒好きの一人で、コロナが流行ってからは一回だけBARに飲みに行ったきりになっている惜しい友人だ。

このAくんのすごいのは好き嫌いしないところ。味覚や嗅覚に趣向性があるのはどうしようもないことなのに、口に合わないお酒もどうにかして楽しもうとする。それは飲み方だったり食事との食べ合わせであったり、そのお酒のバックグラウンドであったり。

その姿勢はぼくにとてもよくハマり、コロナが流行る前はお店でも自宅でもよくお酒を飲んだほどだ。

 

決して高価なお酒を飲めるような所得は無いけれど、限られた予算の中で幅広くお酒を楽しむ。これもまた豊かなことで幸せを感じる。まあたしかにサントリーの山崎やマッカランの古いボトルを飲んで「ウイスキーはうまいなあ」って言ったり、ロマネ・コンティやシャトー・ペトリュス、サロンやモンラッシェだけを飲んで「ワイン好きだよ」って言える人生に憧れないかって言われたら嘘かも知れないけどさ。

 

話が逸れたけど、Aくんとは飲んだ時によくお酒の話をする。それはもう色々。飲んでるお酒についてのテクニカルな話もすれば単純に飲みたいお酒について熱く語ることもある。ちょっと脱線して、時には酔いに任せてプライベートなことで盛り上がることもあるかも。楽しいんだよね。

ぼくがいわゆる『酔うための手段としてのお酒』を否定できないのは、その先に楽しいコミュニケーションが取れることが多いって事を理解してるからなのかも。だけどお酒そのものが好きだという強い思いもある。

 

その『清濁併せ呑む』みたいなお酒の楽しみ方ができる本当に唯一と言える友人がAくんってわけ。

次に一緒に飲めるのはいつになるかわからないけど楽しみだなあ。

 

今、テキーラをショットグラスで八杯目を飲んだところ。うまい。